MERAの強み
“バカ”がつくほどのお人よし!?
これからも真面目一択。

1946年、始まりは牛車
ちょっと昔の話になります。
1946年(昭和21年)9月30日、目良建設は「目良建材店」として産声を上げました。当時の動力源は牛。荷車を牛に引かせ、紀ノ川の河原で採取した砂利を積み込み、それを建築資材として販売していました。
商売をしてさあ帰ろうと思ったら「あれ?牛がいない」。急いで戻ると、先に帰った牛がのんびり草を食んでいた…なんてこともあったのどかな時代です。
その後、高度成長期に突入した日本では各地で開発が進み、当社もその勢いに乗って小松製作所のD50ブルドーザーや油谷重工のバックホーTY45をいち早く採用。その後法人化し、宅地開発、大型機械化土工事業、さらに1975年(昭和50年)から解体工事をスタート。
現在は、解体工事と産業廃棄物収集運搬業に専門特化しています。


一般家屋から鉄橋まで
ありとあらゆるモノを解体できる
年平均200件以上、延べ約10,000件の解体工事を請け負ってきたMERA。
振り返ってみると…
・一般家屋
・マンション
・オフィスビル
・煙突
・鉄橋(JRの橋脚)
・病院
・歩道橋(線路上)
・工場
・病院
など、いろんなモノを解体してきました。

多種多様な重機を保有し、解体機械の自社開発も行い、ありとあらゆる建築物・構造物の解体に対応。どんな難工事でも、基本的にお断りすることはありません。


ほぼゴミゼロ
90%をリサイクル
建物が重機でガシガシ取り崩され、瓦礫がそのままトラックに積み込まれて運ばれる。「解体」と聞いて、そんな光景を思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれませんが、MERAの現場はこのイメージとはかなり違います。
解体によって発生するのは、「瓦礫」でも「ゴミ」でもなく「貴重な資源」。私たちはそう考えています。ここで颯爽と登場するのが、グループ会社の「めらリサイクル」。解体した資材をめらリサイクルの処分場に持ち込み、新たな資源として生まれ変わらせています。
柱やドア、襖、畳などの建具は壊さず、できる限りそのままの姿で。ガラスも割らずに取り出します。コンクリートも再利用できます。
リサイクルを前提に分別しながら解体するので、多くが手作業。手間ひまかけて取り出した建築資材を「100%再利用」するのが私たちの目標です。残念ながらまだ90%程度にとどまっていますが、100%を目指して試行錯誤を続けています。
ここまで資材を生かし切る解体業者が、ほかにあるでしょうか。もしかしたら、あるかも。いや、当社のようなビジネスモデルはかなりめずらしいと思います。仕分けて仕分けて仕分け尽くし、それでもどうにもならなかった廃材は泣く泣く処理。自社で契約している産業廃棄物にて、処分しています。


徹底した社員教育と
チームワークでレベルアップ
手作業が多いといっても、建物を解体する以上、埃や音はどうしても出てしまいます。周辺にお住まいの方々、仕事をされている方々が不快な思いをされないよう、工事に入る前に必ずご説明に伺います。お留守の場合は、チラシをポスティング。不安を訴えられる方には、毎日でも工事の内容についてお話をします。
現場で作業をするのは自社の社員や協力会社のスタッフ。最低でも月に一度、作業員向けに研修を行い、安全や業務について確認しています。協力会社のスタッフは下請けではなく、同じ現場で働く「仲間」として心を通わせ、万全の協力体制を構築。熱血の社員教育とチームワークによって、工事品質の向上を図っています。解体業務は建築と違い一社で完結することができるため、作業のレベルも一定に保たれます。